逢ふことの絶えてしなくはなかなかに
人をも身をも恨みざらまし
- 歌の意味
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逢うということがまったくないのであれば、かえって、相手のつれなさも、我が身のつらさも、恨みはしないだろうに。
- 鑑賞
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巻第十一 恋歌一 678
詞書「天暦御時歌合に」
逢うということがまったくなければ、かえって相手も自分も恨むことはないだろうにと詠む歌である。逢う望みがあるからこそ、逢えない今が恨めしいという恋の逆説を、反実仮想で表している。詞書から、天徳四年の内裏歌合で詠まれた歌とわかり、巻頭の第六百二十一首、第六百二十二首と同じ歌合の歌である。
作者の「中納言朝忠」は藤原朝忠である。三条右大臣藤原定方の子で、従三位中納言に至った。笙の名手としても知られ、三十六歌仙に数えられる。この歌は百人一首に採られている。
初句「逢ふことの」は、逢うということが、の意で、第六百二十六首の初句「逢ふことを」、次歌の第六百七十九首の初句「逢ふことは」と、「逢ふこと」で始まる歌が続いている。
二句「絶えてしなくは」は、まったくないならば、の意で、「絶えて」は下に打消を伴って、まったく、の意を表す。「し」は強めの副助詞、「なくは」は仮定を表す。
三句「なかなかに」は、かえって、の意である。
四句「人をも身をも」は、相手をも自分をも、の意で、「も」を重ねて並べている。
結句「恨みざらまし」は、恨みはしないだろうに、の意で、「まし」は反実仮想の助動詞である。
うらむ:恨む。相手のつれなさを恨めしく思う
うたあはせ:歌合。歌人を左右に分け、歌の優劣を競う催し
- 作者
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藤原朝忠
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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恋と言へば同じ名にこそ思ふらめ いかで我が身を人に知らせん
- 次の歌
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逢ふことはかたゐざりするみどり子の たたむ月にも逢はじとやする