逢ひ見ては幾久さにもあらねども
年月のごと思ほゆるかな
- 歌の意味
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逢って契りを結んでからは、それほど久しくもないのに、まるで長い年月のように思われることだ。
- 鑑賞
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巻第十二 恋歌二 744
詞書は前の歌に続き「題しらず」
逢ってからそれほど日も経っていないのに、まるで長い年月が過ぎたように思われると詠む歌である。逢えない時の長さに、恋しさの深さを表している。次歌の第七百四十五首とともに、時の長さをめぐる人麻呂の歌が並ぶ。この歌が短い日々を年月のように長く感じると詠むのに対し、次歌は長い年月を経て逢えた喜びを詠み、「年月」と「月日」で対をなしている。
作者の「人まろ」は柿本人麻呂である。飛鳥時代の宮廷歌人で、万葉集を代表する歌人として歌聖と仰がれ、三十六歌仙に数えられる。拾遺和歌集には、万葉集の歌が人麻呂の作として多く収められている。
初句「逢ひ見ては」は、逢って契りを結んでからは、の意で、本巻の第七百十一首の初句「逢ひ見ては」と同じ句である。
二句「幾久さにも」は、どれほどの久しさにも、の意である。
三句「あらねども」は、ないけれども、の意で、「ね」は打消の助動詞「ず」の已然形、「ども」は逆接を表す。
四句「年月のごと」は、年月のように、の意で、次歌の第七百四十五首の初句「年を経て」と四句「月日のみこそ」と、時の長さを詠む点で対をなしている。
結句「思ほゆるかな」は、思われることだ、の意で、「かな」は詠嘆を表す。
おもほゆ:思ほゆ。自然に思われる
- 作者
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柿本人麻呂
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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片岸の松のうきねと忍びしは さればよつひに現れにけり
- 次の歌
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年を経て思ひ思ひて逢ひぬれば 月日のみこそうれしかりけれ