高砂に我がなく声はなりにけり
都の人は聞きやつくらん
- 歌の意味
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恋い慕って泣きながら来て、私の泣く声は、鹿の鳴く高砂という所にまで至ってしまった。都にいるあの人は、聞きつけているだろうか。
- 鑑賞
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巻第十五 恋歌五 998
詞書「遠き所に侍りける人、京に侍りける男を、道のままに恋ひまかりて、高砂といふ所にて詠み侍りける」
恋い慕って泣きながら来た私の泣く声は、高砂という所にまで至ってしまった、都にいるあの人は聞きつけているだろうか、と詠む歌である。遠ざかるほど募る恋しさと、都に残した人への思いを、鹿が妻を恋うて鳴く高砂の地名に重ねて詠んでいる。
詞書によれば、遠い地方へ下っていく人が、京に残る男を道中ずっと恋い慕いながら行き、高砂という所で詠んだ歌である。
初句「高砂に」は、高砂という所に、の意で、高砂は播磨国の歌枕で、鹿や松の名所として詠まれた。
二句「我がなく声は」は、私の泣く声は、の意で、「なく」は「泣く」に、高砂の縁で鹿が「鳴く」を掛けた掛詞である。本巻の第九百七十四首、第九百八十五首の「音を泣く」と、泣く声を詠む点が通じている。
三句「なりにけり」は、至ってしまった、の意で、「けり」は詠嘆を表す。ここで句切れとなる。
四句「都の人は」は、都にいるあの人は、の意で、初句の「高砂」と遠く隔たった都とを対比している。
結句「聞きやつくらん」は、聞きつけているだろうか、の意で、係助詞「や」を受けて、現在推量の助動詞「らん」の連体形で結んでいる。
なく:「泣く」と、高砂の縁で鹿が「鳴く」を掛ける
ききつく:聞き付く。聞きつける、聞いて知る
たかさご:高砂。播磨国の歌枕
- 作者
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よみ人しらず
- 出典
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