- 歌の意味
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春霞が春日の野辺一面に立ちこめるように、野に満ちあふれて見える都の人々であることよ。
- 鑑賞
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巻第十六 雑春歌 1046
詞書「京極御息所春日に詣で侍りける時、国司の奉りける歌あまたありける中に」
春霞が春日の野辺一面に立ちこめるように、野に満ちあふれて見える都の人々であると詠む歌である。詞書は前の二首と同じで、京極御息所の春日詣での折に、国司が奉った歌の一首である。御息所に従って大勢の人々が春日野を埋めるさまを、野一面に立ちこめる春霞にたとえ、参詣の盛大さをたたえている。
第千四十四首から第千四十六首までの三首は、京極御息所が春日社に参詣した折に、大和の国司として奉った歌の中から採られている。
作者の藤原忠房は、藤原京家の出で、大和守などを務めた。管弦に優れ、雅楽の胡蝶楽を作ったと伝えられる。京極御息所は藤原時平の娘の褒子で、宇多法皇の寵愛を受けた。
初句「春霞」は、春霞が、の意で、同じ音の「かす」を重ねて二句の「春日」を導いている。
二句「春日の野辺に」は、春日の野辺に、の意で、前の二首と同じく春日野を詠んでいる。
三句「立ち渡り」は、一面に立ちこめて、の意で、上の三句は春霞の広がるさまを示して四句の「満ちても」を導いている。
四句「満ちても見ゆる」は、満ちあふれて見える、の意である。
結句「都人かな」は、都の人々であることよ、の意で、「かな」は詠嘆を表す。
たちわたる:立ち渡る。一面に立ちこめる
みやこびと:都人。都の人
- 作者
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藤原忠房
- 出典
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拾遺和歌集
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古里に咲くとわびつる桜花 今年ぞ君に見えぬべらなる
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世の中にうれしき物は思ふどち 花見て過ぐす心なりけり