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昨日よりをちをば知らず百年の
春の始めは今日にぞありける

歌の意味
昨日より前の遠い昔のことは知らない。百年も続く春の始まりは、今日この日であったのだ。
鑑賞
巻第十八 雑賀 1159

詞書「延喜二年五月中宮御屏風、元日」
 昨日より前の遠い昔のことは知らないが、百年も続く春の始まりは今日この日であったと詠む歌である。詞書から、延喜二年五月に中宮のために作られた屏風の、元日を描いた場面に添えた歌とわかる。年の改まる元日を、これから百年続く春の始まりと言いなして、長寿と繁栄を祝っている。
 本巻は賀の歌を中心とする雑の部の巻で、前半には長寿や子の成長を祝う歌が並び、連歌の一群をはさんで、後半には恋や人とのやりとりにかかわる歌が収められている。巻頭のこの歌が元日に百年の春の始まりを祝うのに対し、巻末の第千二百九首は出家した人が生きているのか死んだのかもわからないと嘆く歌で結ばれており、祝いの始まりで開き、世を離れた人への嘆きで閉じる構成となっている。
 作者の紀貫之は、古今和歌集の撰者の中心人物で、仮名序を執筆し、土佐日記を著した。三十六歌仙に数えられる。

 初句「昨日より」は、昨日から、の意で、二句の「をち」と合わせて、昨日より前の過去をいう。結句の「今日」と対をなしている。
 二句「をちをば知らず」は、それより前の遠い昔のことは知らない、の意で、「をち」は遠い所や遠い時をいう。ここで句切れとなる二句切れの歌である。
 三句「百年の」は、百年の、の意で、長寿を祝う言葉である。次歌の第千百六十首の四句「行く末遠く」と、長い行く末を祝う点で通い合っている。
 四句「春の始めは」は、春の始まりは、の意で、元日をいう。年の始めと春の始めを重ねている。
 結句「今日にぞありける」は、今日であったのだ、の意で、係助詞「ぞ」を受けて過去の助動詞「けり」の連体形「ける」で結ぶ係り結びである。「けり」は気づきの詠嘆を表す。

をち:遠方。ここでは昨日より前の遠い過去
ももとせ:百年
作者
紀貫之
出典
拾遺和歌集
前の歌
むばたまの我が黒髪に年暮れて 鏡の影に降れる白雪
次の歌
はるばると雲居をさして行く舟の 行く末遠く思ほゆるかな