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我のみや子持たるてへば高砂の
尾上に立てる松も子持たり

歌の意味
子を持っているのは私だけだろうかと言うならば、そうではない。高砂の峰の上に立っている松も子を持っているのだ。
鑑賞
巻第十八 雑賀 1168

詞書「題しらず」
 子を持っているのは私だけかと言うならば、高砂の峰に立つ松も子を持っていると詠む歌である。長寿の松の代表である高砂の松に若い松が生えていることを、子を持つことに見立て、子のある身を喜び合う心を、おどけた調子で詠んでいる。前の二首の第千百六十六首、第千百六十七首に続き、松によって子を祝う歌である。

 初句「我のみや」は、私だけが、の意で、係助詞「や」は疑問を表す。
 二句「子持たるてへば」は、子を持っているのかと言うならば、の意で、「てへば」は「と言へば」がつまった形である。
 三句「高砂の」は、播磨国の高砂の、の意で、高砂は長寿の松の名所である。
 四句「尾上に立てる」は、峰の上に立っている、の意で、「る」は存続の助動詞「り」の連体形である。
 結句「松も子持たり」は、松も子を持っている、の意で、二句の「子持たる」を繰り返して答えている。若い松を松の子と見立てている。

てへば:「と言へば」がつまった形
をのへ:尾上。山の峰
作者
よみ人しらず
出典
拾遺和歌集
前の歌
松の苔千歳をかねて生ひ茂れ 鶴の卵の巣とも見るべく
次の歌
幾世経し磯辺の松ぞ昔より 立ち寄る波や数は知るらん