跡もなき葛城山をふみ見れば
我が渡し来しかたはしかもし
- 歌の意味
-
跡形もない葛城山を踏んで見るように、破り取られた文を見ると、これは私が渡してきた岩橋の片端、つまり文の片端なのだろうか。
- 鑑賞
-
巻第十八 雑賀 1199
詞書「女のもとに遣はしける文の端を引き破りて、返り事をせざりければ」
跡形もない葛城山を踏むように、破られた文を見ると、私が渡してきたのは片方だけの橋だったのかと詠む歌である。詞書から、女のもとへ送った文の端を女が引き破り、返事をよこさなかったので詠んだ歌とわかる。葛城山の神が架けようとして果たさなかった岩橋の伝説を踏まえ、「踏み」と「文」、「片橋」と「片端」を掛けて、片思いのまま途切れた恋を、架けかけの橋にたとえている。
結句は難解で解釈が定まらないが、「片橋かも」に強めの「し」を添えた形と解される。
初句「跡もなき」は、跡形もない、の意で、人の通った跡のない険しい山をいい、手紙の筆跡の意も響かせている。次歌の第千二百首の三句「跡なれど」と、「跡」の語を共有している。
二句「葛城山を」は、大和と河内の境の葛城山を、の意で、岩橋の伝説の地である。本巻の第千二百一首の結句「葛城の神」と、葛城の岩橋の伝説を共有している。
三句「ふみ見れば」は、「ふみ」が山を「踏み」と、手紙の「文」を掛ける掛詞である。山を踏んで見ると、文を見ると、の二つの意を重ねている。
四句「我が渡し来し」は、私が渡してきた、の意で、橋を架け渡す意と、文を相手に渡してきた意を重ねている。
結句「かたはしかもし」は、「かたはし」が架けかけの「片橋」と、引き破った文の「片端」を掛ける掛詞である。「かも」は疑問と詠嘆を表す。
ふみ:山を「踏み」の意と、手紙の「文」を掛ける
かたはし:架けかけの「片橋」と、引き破った文の「片端」を掛ける
かづらきやま:葛城山。大和と河内の境の山。神が岩橋を架けようとして果たさなかったという伝説がある
- 作者
-
よみ人しらず
- 出典
-
拾遺和歌集
- 前の歌
-
おろかにも思はましかば東路の 伏屋といひし野辺に寝なまし
- 次の歌
-
書きつくる心見えなる跡なれど 見ても偲ばむ人やあるとて