去年見てし秋の月夜は照らせども
相見し妹はいや遠ざかり
- 歌の意味
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去年共に見た秋の月は、今年も変わらず照らしているけれど、一緒に見た妻は、ますます遠ざかってゆく。
- 鑑賞
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巻第二十 哀傷 1287
詞書「妻にまかりおくれて又の年の秋、月を見侍りて」
去年見た秋の月は今年も照らしているが、共に見た妻はますます遠ざかってゆくと詠む歌である。詞書から、妻に先立たれた翌年の秋に、月を見て詠んだ歌とわかる。変わらずにめぐって来る月と、時がたつほど遠ざかってゆく亡き妻とを対比し、月日の流れとともに深まる喪失の悲しみを詠んでいる。
作者の「人まろ」は柿本人麻呂である。持統天皇、文武天皇の時代に仕えた宮廷歌人で、歌聖と称される。三十六歌仙に数えられる。
万葉集の巻二に、妻の死を悲しんで詠んだ泣血哀慟歌の短歌として、結句を「いや年離る」とする類歌が見える。
初句「去年見てし」は、去年見た、の意で、「てし」は完了と過去の助動詞である。
二句「秋の月夜は」は、秋の月は、の意で、「月夜」は月そのものをいう。
三句「照らせども」は、照らしているけれど、の意で、「ども」は逆接の接続助詞である。
四句「相見し妹は」は、共に見た妻は、の意で、初句の「見てし」を受けて「相見し」と重ねている。
結句「いや遠ざかり」は、ますます遠ざかって、の意で、「いや」は程度がいっそう進むことを表す。連用形で言いさし、余韻を残している。
つくよ:月夜。月、月の光
いも:妹。男が妻や恋人を親しんで呼ぶ語
- 作者
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柿本人麻呂
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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秋風になびく草葉の露よりも 消えにし人を何にたとへん
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君なくて立つ朝霧は麻衣 池さへきるぞ悲しかりける