ささなみの志賀の手児らがまかりにし
川瀬の道を見れば悲しも
- 歌の意味
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ささなみの志賀の娘子が、この世を去って行った川瀬の道を見ると、悲しいことだ。
- 鑑賞
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巻第二十 哀傷 1315
詞書「吉備津の采女亡くなりてのち、詠み侍りける」
ささなみの志賀の娘子が世を去って行った川瀬の道を見ると悲しいと詠む歌である。詞書から、吉備津の采女が亡くなった後に詠んだ歌とわかる。采女が葬られて行った川瀬の道を目にして、若くして世を去った娘子を悼んでいる。本巻の第千二百八十九首の猿沢の池の采女の歌と、采女の死を悼む点で通い合っている。
作者の「人まろ」は柿本人麻呂である。持統天皇、文武天皇の時代に仕えた宮廷歌人で、歌聖と称される。三十六歌仙に数えられる。
万葉集の巻二に、吉備津采女の死を悲しむ人麻呂の歌の短歌として、結句を「見ればさぶしも」とする類歌が見える。
初句「ささなみの」は、近江国の志賀の地にかかる枕詞である。
二句「志賀の手児らが」は、志賀の娘子が、の意で、吉備津の采女をいう。「ら」は親しみを表す接尾語である。
三句「まかりにし」は、この世を去って行った、の意で、「まかる」は死ぬことを婉曲にいう語である。
四句「川瀬の道を」は、川の浅瀬の道を、の意で、葬送の道をいう。
結句「見れば悲しも」は、見ると悲しいことだ、の意で、「も」は詠嘆を表す終助詞である。
てこ:手児。娘子、若い女性
まかる:罷る。この世を去る
うねめ:采女。宮中で天皇の食事などに奉仕した女官
- 作者
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柿本人麻呂
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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世の中をかく言ひ言ひの果て果ては いかにやいかにならむとすらん
- 次の歌
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沖つ波寄る荒磯をしきたへの 枕とまきてなれる君かも