薪こることは昨日に尽きにしを
いざをのの柄はここに朽たさん
- 歌の意味
-
薪を伐る法会のことは、昨日で終わってしまった。さあ、斧の柄は、この小野で朽ちるにまかせよう。
- 鑑賞
-
巻第二十 哀傷 1339
詞書「為雅朝臣、普門寺にて経供養し侍りて、又の日、これかれもろともに帰り侍りけるついでに、小野にまかりて侍りけるに、花のおもしろかりければ」
薪を伐る法会は昨日で終わった、さあ斧の柄はこの小野で朽ちるにまかせようと詠む歌である。詞書から、藤原為雅が普門寺で経供養を営み、その翌日、人々と一緒に帰る途中で小野に立ち寄ったところ、花が美しかったので詠んだ歌とわかる。法華八講で「薪こり」の歌を唱えて行道することを踏まえ、仙人の碁を見ているうちに斧の柄が朽ちたという中国の故事を重ねて、時のたつのも忘れて花を楽しもうと詠んでいる。「斧」に「小野」を掛けている。藤原為雅は作者の姉の夫である。
作者の「春宮大夫道綱母」は藤原道綱母である。藤原倫寧の娘で、藤原兼家の妻となり、道綱を産んだ。蜻蛉日記の作者で、百人一首の「嘆きつつ」の歌で知られる。
なお本文の詞書の「経供事」は「経供養」の意とみた。
初句「薪こる」は、薪を伐る、の意で、法華八講で唱える「薪こり」の歌を踏まえ、法会をいう。本巻の第千三百四十六首の三句「薪こり」と、同じ語を共有している。
二句「ことは昨日に」は、ことは昨日で、の意で、詞書の経供養が前日に終わったことをいう。
三句「尽きにしを」は、終わってしまったので、の意で、「にし」は完了と過去の助動詞である。
四句「いざをのの柄は」は、「をの」が「斧」と、地名の「小野」を掛ける掛詞である。斧の柄が朽ちる故事を踏まえている。
結句「ここに朽たさん」は、ここで朽ちさせよう、の意で、「ん」は意志の助動詞である。時を忘れて花を楽しもうという心をいう。
をの:「斧」と、地名の「小野」を掛ける
くたす:朽たす。朽ちさせる
きやうくやう:経供養。経を書写して仏前に供える法会
- 作者
-
藤原道綱母
- 出典
-
拾遺和歌集
- 前の歌
-
いつしかと君にと思ひし若菜をば 法の道にぞ今日は摘みつる
- 次の歌
-
今日よりは露の命も惜しからず 蓮の上の玉と契れば