いかなれば春を重ねて見つれども
八重にのみ咲く山吹の花
- 歌の意味
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どうしたわけだろう。春を幾度も重ねて見てきたけれども、いつも八重にしか咲かない山吹の花よ。
- 鑑賞
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巻第二 春歌下 116
詞書「山吹をよめる」
「山吹」を題として詠んだ歌である。春を幾度も重ねて見てきたのに、どうしたわけか山吹はいつも八重にしか咲かない、と詠む。春を「重ねる」ことと花が八重に「重なる」こととを結びつけ、春を重ねればさらに重なりが増えてもよさそうなのに、という理屈で八重山吹を興じている。
作者の「惟宗広言」は日向守惟宗基言の子である。大宰府の府官の家に生まれ、のちに筑後守となった。今様の名人として後白河院に仕え、俊恵の歌林苑にも参加した。私撰集「言葉集」を編んだことでも知られる。
初句「いかなれば」は、どういうわけで、の意で、疑問を投げかける。
二句「春を重ねて」は、春を幾度も重ねて、何年も、の意である。四句の「八重」と「重」の字で響き合う。
三句「見つれども」の「つれ」は完了の助動詞「つ」の已然形、「ども」は逆接で、見てきたけれども、の意となる。
四句「八重にのみ咲く」の「のみ」は限定で、八重にばかり咲く、の意である。本巻の第百十一首「幾重か見えむ」、第百十三首「八重山吹」も山吹の八重を詠む。
結句「山吹の花」は体言止めで、本巻の第百十一首と同じ結句である。初句の「いかなれば」に対する答えを示さず、花そのものを提示して結ぶ。
やへ:花びらが幾重にも重なって咲くこと
- 作者
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惟宗広言
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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くちなしの色にぞ澄める山吹の 花の下行く井手の川水
- 次の歌
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山吹の花の妻とは聞かねども うつろふなへに鳴くかはづかな