おぼつかないつか晴るべきわび人の
思ふ心やさみだれの空
- 歌の意味
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心もとないことだ、いつ晴れるのだろう。思いに沈むわびしい人の、乱れた心そのものが、この五月雨の空なのだろうか。
- 鑑賞
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巻第三 夏歌 179
詞書は前の歌に続き「堀河院御時、百首歌奉りける時、五月雨の歌とてよめる」
前歌と同じく堀河百首で「五月雨」を題として詠んだ歌である。いつ晴れるのかもわからず心もとない、この降り続く五月雨の空は、思い乱れるわびしい人の心そのものなのだろうか、と詠む。「さみだれ」に「さ乱れ」を掛け、晴れない空と晴れない心とを重ねて、長雨の憂鬱を人の心の憂いとして表している。
作者の「源俊頼朝臣」は大納言源経信の子である。堀河院歌壇の中心的な歌人で、白河院の院宣を受けて金葉和歌集を撰び、歌論書「俊頼髄脳」を著した。小倉百人一首にも歌が採られている。
初句「おぼつかな」は、心もとない、はっきりしない、の意で、形容詞の語幹による詠嘆である。ここで句切れとなる。
二句「いつか晴るべき」は、いつ晴れるのだろうか、の意で、空が晴れることと心が晴れることとを重ねる。
三句「わび人の」は、思い悩んでわびしく暮らす人の、の意である。
四句「思ふ心や」の「や」は疑問で、思い悩む心が〜なのだろうか、と問う。
結句「さみだれの空」の「さみだれ」は、「五月雨」と、心が乱れる意の「さ乱れ」とを掛ける。本巻の第百八十四首、第百八十九首も「五月雨の空」を結句とする。
さみだれ:「五月雨」と、心が乱れる意の「さ乱れ」を掛ける
わびびと:思い悩んでわびしく暮らす人
- 作者
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源俊頼
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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いとどしく賤の庵のいぶせきに 卯の花腐し五月雨ぞする
- 次の歌
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五月雨に浅沢沼の花かつみ かつ見るままに隠れゆくかな