我ながらほどなき夜はや惜しからむ
なほ山の端に有明の月
- 歌の意味
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我ながら、この短い夏の夜がそれほど惜しいのだろうか。見れば、有明の月もなお山の端に残っている。
- 鑑賞
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巻第三 夏歌 215
詞書「夏夜暁月といへる心をよめる」
「夏夜暁月(夏の夜の暁の月)」という題で詠んだ歌である。夏の短い夜が明けようとする暁、我ながら、この短い夜がそれほど惜しいのだろうかと思う、見れば有明の月もなお山の端にとどまり、夜を惜しんでいるかのようだ、と詠む。夜を惜しむ自分の心と、山の端に残る有明の月とを重ね合わせている。ここから夏の月の歌が続く。
作者の「藤原経家朝臣」は藤原重家の子である。六条藤家の歌人で、のちに正三位に至った。
本歌から第二百十七首までの三首は、夏の月を詠む一連である。
初句「我ながら」は、我ながら、自分のことながら、の意である。
二句「ほどなき夜はや」の「ほどなき」は時間の短い、の意で、短い夏の夜をいう。「や」は疑問の係助詞で、三句の「む」と係り結びをなす。
三句「惜しからむ」の「む」は推量の助動詞の連体形で、「や」の結びとなる。惜しいのだろうか、の意で、ここで句切れとなる。
四句「なほ山の端に」の「なほ」は、まだ、の意である。
結句「有明の月」は体言止めで、夜が明けても空に残る月をいう。本巻の第百六十一首も同じく「有明の月」を詠む。
ありあけ:夜が明けても空に残っている月
やまのは:山の稜線
- 作者
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藤原経家
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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せきとむる山下水に水隠れて すみけるものを秋のけしきは
- 次の歌
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夏の夜の月の光はさしながら いかにあけぬる天の戸ならん