草木まで秋のあはれを忍べばや
野にも山にも露こぼるらん
- 歌の意味
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草木までもが秋のあわれを深く思い慕うからだろうか、野にも山にも、涙のような露がこぼれているのだろう。
- 鑑賞
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巻第四 秋歌上 263
詞書「題しらず」
人だけでなく草木までもが秋のあわれをしみじみと感じているからだろうか、野にも山にも、まるで涙のように露がこぼれている、と詠む。草木に置く露を草木の涙と見て、秋のあわれが人の心だけでなく天地の万物に満ちていることを、大きな景の中に表している。
作者の「法印慈円」は関白藤原忠通の子である。天台座主を四度務め、のちに大僧正に至った。歴史書「愚管抄」を著し、小倉百人一首にも歌が採られている。
なお本文の結句は「つゆこはるらん」とあり、読み仮名の行の「つゆこほるらむ」と一致しない。本文の「こはる」では意が通らないため、本文の誤写と見て、ここでは読み仮名の行に従い「こぼる」と解する。
初句「草木まで」の「まで」は、人だけでなく草木までも、の意である。
二句「秋のあはれを」の「あはれ」は、しみじみとした情趣、悲しみをいう。
三句「忍べばや」の「忍ぶ」は心にしみじみと思い慕う意で、「ばや」の「や」は疑問の係助詞として結句の「らん」と係り結びをなす。思い慕うからだろうか、の意となる。
四句「野にも山にも」は、野にも山にも至るところに、の意で、露の置く範囲の広さを示す。
結句「露こぼるらん」の「らん」は現在推量の助動詞の連体形で、「や」の結びとなる。露を草木の涙に見立てる。本巻の第二百六十六首「露はこぼるれ」も同じく露のこぼれるさまを詠む。
しのぶ:心にしみじみと思い慕う
- 作者
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慈円
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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秋の野の千草の色にうつろへば 花ぞかへりて露を染めける
- 次の歌
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はかなさを我が身の上によそふれば 袂にかかる秋の夕露