はかなさを我が身の上によそふれば
袂にかかる秋の夕露
- 歌の意味
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露のはかなさを、わが身の上になぞらえて思うと、袂に秋の夕露がかかることだ。
- 鑑賞
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巻第四 秋歌上 264
詞書「崇徳院に百首歌奉りける時、よめる」
崇徳院に百首歌を奉った際に詠んだ歌である。消えやすい露のはかなさを、わが身の上になぞらえて思っていると、袂には秋の夕露がかかる、と詠む。露のはかなさと命のはかなさとを重ね、袂の夕露に、わが身を思って流す涙を暗に重ねている。
作者の「待賢門院堀河」は神祇伯源顕仲の娘である。鳥羽天皇の中宮待賢門院藤原璋子に仕えた女房で、院政期を代表する女流歌人の一人であり、崇徳院の久安百首の作者の一人でもある。
本歌と次歌の第二百六十五首は、ともに久安百首で露を詠んだ歌である。前歌の第二百六十三首が草木の涙としての露を詠んだのに対し、本歌はわが身の涙としての露を詠む。
初句「はかなさを」は、露のはかなさを、の意で、露の消えやすさを示す。
二句「我が身の上に」は、自分の身の上に、の意である。
三句「よそふれば」の「よそふ」はなぞらえる意で、已然形に「ば」が付いた確定条件である。
四句「袂にかかる」は、袂に露がかかる、の意で、露に涙の意を重ねる。本巻の第二百六十六首「袂よりこそ」、第二百六十七首「袂に置くは」も袂の露を詠む。
結句「秋の夕露」は体言止めで、夕方に置く秋の露をいう。はかなさの象徴である露を最後に示す。
よそふ:なぞらえる、比べ合わせる
- 作者
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待賢門院堀河
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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草木まで秋のあはれを忍べばや 野にも山にも露こぼるらん
- 次の歌
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竜田姫かざしの玉の緒を弱み 乱れにけりと見ゆる白露