いづこにも月は分かじをいかなれば
さやけかるらむ更級の山
- 歌の意味
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月はどこであっても照らす所を分け隔てしないだろうに、どうして更級の山ではこれほど明るく澄んでいるのだろう。
- 鑑賞
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巻第四 秋歌上 277
詞書は前の歌に続き「堀河院御時、百首歌奉りける時、よめる」
前歌と同じく堀河百首で月を詠んだ歌である。月はどこであっても分け隔てなく照らすはずなのに、どうして更級の山ではこれほど明るく澄んでいるのだろうか、と詠む。月の名所として名高い更級の姨捨山の月の格別な明るさを、問いかけの形で称えている。
作者の「隆源法師」は若狭守藤原通宗の子である。天台宗の僧で、阿闍梨となり、堀河百首の作者の一人として活躍した。
古今和歌集のよみ人しらずの歌「わが心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」以来、更級の姨捨山は月の名所として詠まれてきた。本巻の第二百七十八首は姨捨山を、第二百八十首は更級の山を詠み、更級の月の歌が続く。
初句「いづこにも」は、どこであっても、の意である。
二句「月は分かじを」の「分く」は区別する、分け隔てる意で、「じ」は打消推量、「を」は逆接である。月は分け隔てしないだろうに、の意となる。
三句「いかなれば」は、どういうわけで、の意で、疑問を投げかける。
四句「さやけかるらむ」の「さやけし」は明るく澄んでいる意で、「らむ」は原因を推量する現在推量の助動詞である。
結句「更級の山」は体言止めで、信濃国の姨捨山をいう。本巻の第二百八十首も「更級の山」を詠む。
わく:区別する、分け隔てる
さらしな:信濃国の地名で、月の名所の姨捨山がある
- 作者
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隆源
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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木枯らしの雲吹き払ふ高嶺より 冴えても月の澄みのぼるかな
- 次の歌
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出でぬより月見よとこそ冴えにけれ 姨捨山の夕暮の空