さ夜更けて富士の高嶺に澄む月は
煙ばかりや曇りなるべき
- 歌の意味
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夜が更けて、富士の高嶺の上に澄みわたる月にとっては、富士の噴煙だけが曇りとなるのだろうか。
- 鑑賞
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巻第四 秋歌上 283
詞書は前の歌に続き「百首歌召しける時、月の歌とてよませ給うける」
前歌と同じく崇徳院の召した百首歌で、「月」を題として詠んだ歌である。夜が更けて、富士の高嶺の上に澄みわたる月にとっては、雲ひとつない空の中で、富士から立ちのぼる煙だけが曇りとなるのだろうか、と詠む。富士の煙という独特の景物を生かし、それ以外に何の曇りもない月の澄みようを際立たせている。
作者の「大炊御門右大臣」は藤原公能である。左大臣藤原実能の子で、右大臣に至った。大炊御門に邸があったことからこの名で呼ばれる。崇徳院の久安百首の作者の一人である。
富士山は当時、噴煙を上げる山として歌に詠まれた。本巻の第二百七十五首、第二百七十六首に続き、高嶺の月を詠む。
初句「さ夜更けて」の「さ」は接頭語で、夜が更けて、の意である。
二句「富士の高嶺に」は、富士山の高い峰に、の意である。本巻の第二百七十五首、第二百七十六首も「高嶺」を詠む。
三句「澄む月は」は、澄みわたる月にとっては、の意である。
四句「煙ばかりや」の「煙」は富士山から立ちのぼる噴煙で、「ばかり」は限定である。「や」は疑問の係助詞で、結句の「べき」と係り結びをなす。
結句「曇りなるべき」の「べき」は推量の助動詞「べし」の連体形で、「や」の結びとなる。煙のほかには曇りとなるものはない、という月の澄みようを示す。
けぶり:富士山から立ちのぼる噴煙
- 作者
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藤原公能
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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玉寄する浦わの風に空晴れて 光を交はす秋の夜の月
- 次の歌
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石走る水の白玉数見えて 清滝川に澄める月影