大方の恋する人に聞き馴れて
世の常のとや君思ふらん
- 歌の意味
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世間一般の恋をする人の言葉を聞き慣れているので、私の思いも世のありふれた恋だと、あなたは思っているのだろうか。
- 鑑賞
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巻第十一 恋歌一 650
詞書「百首歌奉りける時、恋の歌とて詠み侍りける」
百首歌を奉った時に恋の歌として詠んだ歌である。あなたはありふれた恋する人の言葉を聞き慣れて、私の思いも世の常のものと思っているのだろうか、と詠む。自分の恋は格別に深いのに、相手には聞き飽きた恋の言葉の一つとして受け流されているのではないかという不安を詠んでいる。この百首歌は崇徳院が召した久安百首である。
作者の「大炊御門右大臣」は藤原公能である。左大臣藤原実能の子で、右大臣に至った。後徳大寺左大臣藤原実定の父である。
本歌から第六百五十四首までの五首は、同じ久安百首の恋の歌である。
初句「大方の」は、世間一般の、ありふれた、の意である。
二句「恋する人に」は、恋をする人の言葉に、の意である。
三句「聞き馴れて」は、聞き慣れて、の意で、主語は結句の「君」である。
四句「世の常のとや」は、世の常の恋の言葉と、の意で、「の」の下に恋の言葉などが略されている。「や」は疑問の係助詞で、結句の「らん」と連体形で結ぶ。
結句「君思ふらん」の「らん」は現在推量の助動詞「らむ」の連体形で、四句の「や」を受けて結ぶ。あなたは思っているのだろうか、の意である。
よのつね:世間にありふれていること
ききなる:何度も聞いて慣れる
- 作者
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藤原公能
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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包めども堪へぬ思ひになりぬれば 問はず語りのせまほしきかな
- 次の歌
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思へどもいはでの山に年を経て 朽ちや果てなん谷の埋もれ木