さまざまの草葉も今は霜枯れぬ
野辺より冬や立ちて来つらん
- 歌の意味
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さまざまな草の葉も今はすっかり霜に枯れてしまった。冬は野辺から立ってやって来たのだろうか。
- 鑑賞
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巻第六 冬歌 391
詞書は前の歌に続き「百首歌召しける時、初冬の心をよませ給うける」
久安百首の初冬の題で詠んだ歌である。さまざまな草の葉も今はみな霜に枯れてしまった、冬は野辺から立ってやって来たのだろうか、と詠む。秋には色とりどりに咲いていた野の草が一様に枯れたさまを見て、冬が野辺から出発してやって来たかのようにとらえている。
作者の「大炊御門右大臣」は藤原公能である。左大臣藤原実能の子で、右大臣に至った。崇徳院の久安百首の作者の一人である。
第三百九十首から第三百九十四首までの五首は、崇徳院の久安百首から採られた初冬の歌である。久安百首は、崇徳院が藤原顕輔、藤原俊成らに召した百首歌で、久安六年(1150)に詠進された。
初句「さまざまの」は、いろいろな種類の、の意で、秋の野に咲き乱れていた草々を思わせる。
二句「草葉も今は」の「今は」は、秋の盛りと比べて今は、の意で、時の移りを示す。
三句「霜枯れぬ」の「ぬ」は完了の助動詞で、霜にあたって枯れてしまった、の意である。ここで句切れとなる。本巻の第四百二十八首、第四百四十九首も「霜枯れの」と霜による枯れを詠む。
四句「野辺より冬や」の「や」は疑問の係助詞で、結句の「らん」と連体形で結ぶ。草の枯れた野辺を冬の出発点と見る。
結句「立ちて来つらん」の「立つ」は季節が始まる意で、冬が立って来たのだろうか、と季節を人のように扱う。「らん」は現在推量の助動詞である。
しもがる:霜にあたって草木が枯れる
のべ:野のあたり
- 作者
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藤原公能
- 出典
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千載和歌集
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隙もなく散る紅葉葉に埋もれて 庭の気色も冬籠もりけり
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澄む水を心なしとは誰か言ふ 氷ぞ冬の初めをも知る