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思へどもいはでの山に年を経て
朽ちや果てなん谷の埋もれ木

歌の意味
思っていても口に出して言わずにいるので、いはでの山の谷に埋もれた木のように、年を経て朽ち果ててしまうのだろうか。
鑑賞
巻第十一 恋歌一 651

詞書は前の歌に続き「百首歌奉りける時、恋の歌とて詠み侍りける」
 前歌と同じく久安百首の恋の歌である。思っていても言わずにいて、いはでの山に年を経て、谷の埋もれ木のように朽ち果ててしまうのだろうか、と詠む。陸奥の歌枕「いはでの山」に「言はで」を掛け、思いを打ち明けられないまま年月を重ね、人知れず朽ちていく身を、谷底に埋もれた木にたとえている。
 作者の「左京大夫顕輔」は藤原顕輔である。修理大夫藤原顕季の子で、左京大夫を務め、崇徳院の命で詞花和歌集を撰んだ。六条藤家の歌学の基礎を築き、小倉百人一首にも歌が採られている。
 本巻の第六百六十七首も「いはでの山の谷の下水」と同じ歌枕を詠み、本歌が谷の埋もれ木、第六百六十七首が谷の下水と、いずれも谷に隠れたものに忍ぶ恋を託している。また第六百六十一首の「埋もれ水」とも、埋もれたものに寄せる点で通う。

 初句「思へども」の「ども」は逆接の接続助詞で、恋い思っていても、の意である。第六百六十三首の初句と同じ句である。
 二句「いはでの山に」の「いはで」は、陸奥国の歌枕である岩手の山と、口に出して言わないで、の意の「言はで」を掛ける。第六百六十七首の四句「いはでの山の」と同じ歌枕である。
 三句「年を経て」は、年月を過ごして、の意である。
 四句「朽ちや果てなん」の「や」は疑問の係助詞、「なん」は完了の助動詞「ぬ」の未然形に推量の助動詞「む」の連体形が付いたもので、朽ち果ててしまうのだろうか、の意である。ここで句切れとなる。
 結句「谷の埋もれ木」の「埋もれ木」は土や水の中に長く埋もれた木で、人に知られずに終わる身のたとえとなる。体言止めである。

いはで:陸奥国の歌枕の岩手と、言はで(言わないで)を掛ける
うもれぎ:土や水の中に長く埋もれた木。世に知られない身のたとえ
くちはつ:すっかり朽ちてしまう
作者
藤原顕輔
出典
千載和歌集
前の歌
大方の恋する人に聞き馴れて 世の常のとや君思ふらん
次の歌
高砂の尾上の松に吹く風の 音にのみやは聞きわたるべき