身の憂さの秋は忘るるものならば
涙曇らで月は見てまし
- 歌の意味
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わが身のつらさを、秋には忘れられるものであるならば、涙に曇ることなく月を見ていられるだろうに。
- 鑑賞
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巻第四 秋歌上 298
詞書は前の歌に続き「題しらず」
わが身のつらさを秋には忘れられるものであるならば、涙に目が曇ることなく、澄んだ月をはっきりと見ていられるだろうに、と詠む。実際には秋になるとかえって身のつらさが思われ、涙で月がかすんでしまうという嘆きを、反実仮想の形で表している。
作者の「刑部卿頼輔」は藤原頼輔である。大納言藤原忠教の子で、刑部卿に至った。蹴鞠の名手として知られ、兄に藤原教長がいる。
前歌の第二百九十七首に続き、月を前にしたわが身の嘆きを詠む。
初句「身の憂さの」は、わが身のつらさの、の意である。
二句「秋は忘るる」は、秋には忘れる、の意で、「は」は他の季節と区別して秋を取り立てる。
三句「ものならば」は、ものであるならば、の意で、仮定条件を示し、結句の「まし」と呼応する。
四句「涙曇らで」の「で」は打消の接続助詞で、涙に曇らないで、の意である。
結句「月は見てまし」の「まし」は反実仮想の助動詞で、月を見ていられるだろうに、の意となる。実際には涙で月が曇ることを嘆く。
うさ:つらさ
- 作者
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藤原頼輔
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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更けにける我がよの秋ぞあはれなる 傾く月はまたも出でなん
- 次の歌
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おほかたの秋のあはれを思ひやれ 月に心はあくがれぬとも