この世にて又逢ふまじき悲しさに
勧めし人ぞ心乱れし
- 歌の意味
-
この世では二度と会うことはないという悲しさに、心乱さず念仏せよと勧めた私のほうこそ、心が乱れてしまった。
- 鑑賞
-
巻第九 哀傷歌 605
詞書「返し」
前歌の寂然の歌への西行の返歌である。この世で再び会うことはない悲しさに、勧めた私のほうこそ心が乱れた、と詠む。西行は西住の臨終に付き添い、心を乱さず念仏するよう勧めたが、西住が正念のうちに往生したのに対し、勧めた自分のほうが別れの悲しみに心を乱してしまったと告白している。仏道に生きる者としての理想と、友を失った人としての悲しみとの隔たりを率直に詠んでいる。
作者の「円位法師」は西行である。俗名を佐藤義清といい、鳥羽院の北面の武士であったが、二十三歳で出家し、諸国を旅して多くの歌を残した。家集に「山家集」がある。小倉百人一首にも歌が採られている。
哀傷歌の巻末の一首である。巻頭の第五百四十五首、第五百四十六首の贈答は、ともに花を見た友を失った悲しみを詠み、第五百四十六首は「又も逢はねば」と結んでいた。巻末の本歌もまた、ともに月を眺めた友を失い、「又逢ふまじき」と嘆いて、巻の初めと終わりが呼応している。
初句「この世にて」は、この世では、の意である。
二句「又逢ふまじき」の「まじき」は打消し推量の助動詞「まじ」の連体形で、二度と会うことはないであろう、の意である。巻頭の贈答の第五百四十六首の「又も逢はねば」と呼応する。
三句「悲しさに」は、悲しさのために、の意である。
四句「勧めし人ぞ」の「勧め」は臨終の念仏を勧める意、「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、勧めた人、すなわち西行自身をいう。「ぞ」は強意の係助詞で、結句の「し」と連体形で結ぶ。
結句「心乱れし」の「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、四句の「ぞ」を受けて結ぶ。前歌の初句「乱れずと」に対し、往生した西住は乱れず、勧めた自分が乱れたと対比させ、巻を閉じる。
すすむ:仏道に入ることや念仏を勧める
- 作者
-
西行
- 出典
-
千載和歌集
- 前の歌
-
乱れずと終はり聞くこそ嬉しけれ さても別れは慰まねども
- 次の歌
-
幾千代と限らざりける呉竹や 君が齢のたぐひなるらん