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乱れずと終はり聞くこそ嬉しけれ
さても別れは慰まねども

歌の意味
心乱れることなく臨終を迎えたと聞くことこそ嬉しいことだ。それにしても、別れの悲しみは慰められないけれども。
鑑賞
巻第九 哀傷歌 604

詞書「西住法師身まかりける時、終はり正念なりけるよしを聞きて、円位法師のもとに遣はしける」
 西住法師が亡くなった時、その最期が正念、すなわち心を乱さず仏を念じたものであったと聞いて、円位法師、すなわち西行のもとに贈った歌である。心乱れずに臨終を迎えたと聞くことは嬉しい、それでも別れは慰められないけれども、と詠む。往生を遂げたことを仏道の友として喜びながらも、友を失った悲しみは消えないという、二つの思いの間で揺れる心を表している。
 作者の「寂然法師」は藤原頼業である。藤原為忠の子で、兄の寂念、寂超とともに大原の三寂と呼ばれた。西行と深い親交があった。
 前歌の第六百三首に続く西住の死をめぐる一連で、次歌の第六百五首は本歌に答えた西行の返歌である。

 初句「乱れずと」は、心乱れることなく、の意で、臨終正念をいう。次歌の第六百五首は「心乱れし」と受けて返している。
 二句「終はり聞くこそ」の「終はり」は臨終の意、「こそ」は強意の係助詞で、三句の「けれ」と已然形で結ぶ。
 三句「嬉しけれ」は、嬉しいことだ、の意で、ここで句切れとなる。
 四句「さても別れは」の「さても」は、それにしても、の意である。
 結句「慰まねども」の「ね」は打消しの助動詞「ず」の已然形、「ども」は逆接の接続助詞で、慰められないけれども、の意である。上の句と倒置の関係にある。

しやうねん:臨終の時に心を乱さず、一心に仏を念じること
をはり:臨終、最期
なぐさむ:心が晴れる、慰められる
作者
寂然
出典
千載和歌集
前の歌
もろともに眺め眺めて秋の月 ひとりにならむことぞ悲しき
次の歌
この世にて又逢ふまじき悲しさに 勧めし人ぞ心乱れし