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白雲に羽うち付けて飛ぶ鶴の
遥かに千代の思ほゆるかな

歌の意味
白雲に羽を打ちつけるように高く飛ぶ鶴の姿を見ると、遥かな千代の行く末が思われることだ。
鑑賞
巻第十 賀歌 624

詞書「上の男ども百首歌奉りける時、祝ひの心を詠ませ給うける」
 殿上人たちが百首歌を奉った時に、天皇自らが祝いの題で詠んだ歌である。白雲に羽を打ちつけて飛ぶ鶴のように、遥かに千代が思われる、と詠む。千年の寿命を持つとされる鶴が白雲の高みを飛ぶ姿に、空の遥かさと千代の遥かさを重ね、御代の長久を祝っている。古今和歌集の「白雲に羽うちかはし飛ぶ雁の」の歌と詠み出しが通う。
 作者の「二条院御製」は、後白河天皇の第一皇子で第七十八代の天皇であった二条院の詠んだ歌を示す。和歌を好み、在位中に内裏で歌会をたびたび催したが、二十三歳で崩じた。
 前歌の第六百二十三首は二条天皇の御代の始めを祝う歌であった。本巻の第六百二十七首、第六百三十一首も鶴を詠み、長寿の鳥に寄せて祝う歌が続く。

 初句「白雲に」は、空高く浮かぶ白い雲に、の意である。
 二句「羽うち付けて」は、羽を打ちつけるようにして、の意で、鶴が雲に届くほど高く飛ぶさまをいう。
 三句「飛ぶ鶴の」の「鶴」は千年の寿命を持つとされた。上三句は鶴が空高く飛ぶ景で、四句の「遥かに」を導く。第六百二十七首の二句「限らぬ鶴の」と共通する。
 四句「遥かに千代の」は、遥か先の千代が、の意で、鶴の飛ぶ空の遥かさと年月の遥かさを重ねる。
 結句「思ほゆるかな」の「思ほゆる」は「思ほゆ」の連体形で、自然に思われる、の意である。「かな」は詠嘆の終助詞である。

たづ:鶴の歌語
おもほゆ:自然に思われる
作者
二条院
出典
千載和歌集
前の歌
千代経べき始めの春と知り顔に 気色異なる花桜かな
次の歌
動きなくなほ万代ぞ頼むべき 藐姑射の山の峰の松陰