潮垂るる袖の干る間はありやとも
あはでの浦の海人に問はばや
- 歌の意味
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潮に濡れてしずくを垂らす袖が乾く間はあるのかと、その名のとおり恋人に逢えずにいる、あはでの浦の海人に尋ねてみたいものだ。
- 鑑賞
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巻第十二 恋歌二 755
詞書は前の歌に続き「題しらず」
潮に濡れる袖が乾く間はあるのかと、あはでの浦の海人に尋ねたい、と詠む。「逢はで」の名をもつ浦の海人ならば、逢えずに涙に濡れる自分と同じ境遇であろうと考え、その海人に袖の乾く時があるのかを問いたいという、逢えぬ恋の涙の尽きなさを表している。
作者の「法印静賢」は藤原通憲の子である。通憲は出家して信西と号した。後白河院の近臣として仕え、法印の僧位にあった。
前歌の第七百五十四首の二句「潮の満ち干る」と本歌の二句「袖の干る間は」は「干る」の語を共有し、袖を潮に寄せる歌が並ぶ。初句「潮垂るる」は本巻の第七百十九首と同じである。また結句の「問はばや」は、巻頭の第七百四首の二句「人に問はばや」と同じ語で、袖の濡れを人に問いかける趣向が共通する。
初句「潮垂るる」は、潮に濡れてしずくを垂らす、の意で、涙に濡れることのたとえとなる。本巻の第七百十九首も同じ初句で始まる。
二句「袖の干る間は」の「干る」は乾く意で、潮が引く意を響かせる。前歌の二句「潮の満ち干る」と同じ語を用いる。
三句「ありやとも」の「や」は疑問で、あるのかと、の意である。
四句「あはでの浦の」の「あはで」は陸奥国の歌枕の阿波手の浦に、逢わないで、の意の「逢はで」を掛ける。
結句「海人に問はばや」の「ばや」は自己の希望を表す終助詞で、海人に尋ねたい、の意である。巻頭の第七百四首の二句「人に問はばや」と同じ形である。
ひるま:乾く間。潮の引く間
あはでのうら:陸奥国の歌枕の阿波手の浦に、逢はでを掛ける
- 作者
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静賢
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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我が袖の潮の満ち干る浦ならば 涙の寄らぬ折もあらまし
- 次の歌
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思ひきや夢をこの世の契りにて 覚むる別れを嘆くべしとは