我が袖の潮の満ち干る浦ならば
涙の寄らぬ折もあらまし
- 歌の意味
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もし私の袖が、潮の満ちたり引いたりする浦であるならば、涙の波が寄せてこない時もあるだろうに。
- 鑑賞
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巻第十二 恋歌二 754
詞書「題しらず」
我が袖が潮の満ち干する浦であるならば、涙の寄せない時もあろうに、と詠む。潮の満ち引きのある浦なら引き潮の時もあるのに、自分の袖には絶えず涙が寄せて乾く間もないと、袖を浦に、涙を潮にたとえて尽きることのない恋の涙を表している。
作者の「前右京権大夫頼政」は源頼政である。兵庫頭源仲政の子で、右京権大夫を務めた武将、歌人である。のちに以仁王を奉じて平家打倒の兵を挙げ、宇治で敗死した。
次歌の第七百五十五首は涙に濡れる袖の「干る間」を海人に問い、本巻の第七百六十首は初句を「我が袖は」として潮干にも乾かぬ袖を詠む。袖を潮の満ち干に寄せる歌が続けて並べられている。
初句「我が袖の」は、私の袖が、の意である。本巻の第七百六十首の初句「我が袖は」と同じく、我が袖を海に寄せて詠む。
二句「潮の満ち干る」は、潮が満ちたり引いたりする、の意である。次歌の二句「袖の干る間は」と「干る」の語を共有する。
三句「浦ならば」は、浦であるならば、の意で、結句の「まし」と呼応する反実仮想の条件となる。
四句「涙の寄らぬ」は、涙が寄せてこない、の意で、涙を寄せる潮にたとえる。
結句「折もあらまし」の「まし」は反実仮想の助動詞で、時もあるだろうに、の意である。実際には絶えず涙が寄せていることを示す。
みちひる:潮が満ちたり引いたりする
- 作者
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源頼政
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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手枕の上に乱るる朝寝髪 下に解けずと人は知らじな
- 次の歌
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潮垂るる袖の干る間はありやとも あはでの浦の海人に問はばや