かかりける嘆きは何の報いぞと
知る人あらば問はましものを
- 歌の意味
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このような恋の嘆きは、前世のどのような行いの報いなのかと、それを知っている人がいるならば、尋ねてみたいものなのに。
- 鑑賞
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巻第十二 恋歌二 761
詞書「題しらず」
このような嘆きは何の報いなのかと、知る人があるならば問いたいものを、と詠む。これほど苦しい恋をしなければならないのは、前世の何かの行いの報いに違いないと考え、その因果を知る人がいるなら尋ねたいと、仏教の因果応報の考えを恋に重ねて嘆いている。
作者の「民部卿成範」は藤原成範である。藤原通憲の子で、民部卿を務め、中納言に至った。桜を愛し、桜町中納言と呼ばれた。
本巻の第七百七首は本歌と同じ初句「かかりける」で始まり、第七百六十八首は本歌と同じ結句「問はましものを」で結ばれる。また第七百三十七首は恋を前世からの契りとして詠み、恋の苦しみを前世に結びつける点で通い合う。
初句「かかりける」は、このようであった、の意で、二句の「嘆き」にかかる。本巻の第七百七首も同じ初句で始まる。
二句「嘆きは何の」は、恋の嘆きは何の、の意である。
三句「報いぞと」の「報い」は前世の行いの結果として受けるもので、仏教の因果応報の考えによる。
四句「知る人あらば」の「ば」は未然形に付いて仮定を表し、知る人がいるならば、の意で、結句の「まし」と呼応する。
結句「問はましものを」の「まし」は反実仮想の助動詞、「ものを」は逆接の詠嘆で、尋ねたいものなのに、の意である。本巻の第七百六十八首の結句と同じ句である。
むくい:前世の行いの結果として受けるもの
- 作者
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藤原成範
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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我が袖は潮干に見えぬ沖の石の 人こそ知らね乾く間ぞなき
- 次の歌
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恋ひ死なんことぞはかなき渡り川 逢ふ瀬ありとは聞かぬものゆゑ