恨みずは忘れぬ人もありなまし
思ひ知らでぞあるべかりける
- 歌の意味
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恨まなかったならば、私を忘れないでいてくれる人もいたであろうに。相手のつれなさなど思い知らないままでいるべきであったのだ。
- 鑑賞
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巻第十五 恋歌五 916
詞書「堀河院御時、百首歌たてまつりける時、恨みの心を詠める」
堀河天皇の御代に百首歌を奉った時、恨みの題で詠んだ歌である。恨まなかったならば忘れないでいてくれる人もいただろうに、思い知らずにいるべきであった、と詠む。相手の冷たさを思い知って恨み言を言ったために、かえって相手の心が離れてしまったと悔やみ、気づかぬふりをしていればよかったと詠む。恨むことがかえって恋を失わせるという、恋の機微を捉えた歌である。この百首歌は堀河百首である。
作者の「隆源法師」は若狭守藤原通宗の子である。比叡山の僧で、若狭阿闍梨と号した。叔父藤原通俊の後拾遺和歌集の撰集を助け、堀河百首の作者の一人となった。歌学書「隆源口伝」を著した。
本巻の第九百五十四首「恨みしことぞ悔しかりける」も、恨んだことを悔やむ歌で、趣が通う。
初句「恨みずは」の「ずは」は打消しの助動詞「ず」に係助詞「は」が付いた仮定条件で、恨まなかったならば、の意である。三句の「まし」と呼応する。
二句「忘れぬ人も」は、私を忘れないでいてくれる人も、の意である。
三句「ありなまし」の「な」は完了(強意)の助動詞「ぬ」の未然形、「まし」は反実仮想の助動詞で、いたであろうに、の意である。ここで句切れとなる。
四句「思ひ知らでぞ」の「思ひ知る」は身にしみて悟る意、「で」は打消しの接続助詞で、思い知らないで、の意である。「ぞ」は強意の係助詞で、結句の「ける」と連体形で結ぶ。
結句「あるべかりける」の「べかり」は当然の助動詞「べし」の連用形、「ける」は詠嘆の助動詞「けり」の連体形で、四句の「ぞ」を受けて結ぶ。そうあるべきだったのだ、と悔いる思いを表す。
おもひしる:身にしみて悟る、思い知る
- 作者
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隆源
- 出典
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千載和歌集
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人心何を頼みて水無瀬川 堰の古杭朽ち果てぬらん
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まことにや三年も待たで山城の ふしみの里に新枕する