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久方の月ゆゑにやは恋ひ初めし
眺むればまづ濡るる袖かな

歌の意味
月のせいで恋し始めたというのだろうか。そうではないのに、月を眺めると、真っ先に涙で濡れる私の袖であることよ。
鑑賞
巻第十五 恋歌五 930

詞書は前の歌に続き「月前恋といへる心を詠める」
 前歌と同じ「月の前の恋」の題で詠んだ歌である。月のために恋し始めたのだろうか、そうではないのに、眺めるとまず濡れる袖であることよ、と詠む。恋の始まりは月とは関わりがないはずなのに、月を眺めるたびに真っ先に涙で袖が濡れると詠み、月を見ると恋しさが募る心を表している。
 作者の「寂超法師」は丹後守藤原為忠の子である。俗名は為経で、兄の寂念、弟の寂然とともに大原に隠棲し、大原三寂と呼ばれた。歌人で画家の藤原隆信の父である。
 一連の二首目である。前歌の第九百二十九首が物思いの原因を月に問いかけたのに対し、本歌は恋の始まりの原因を月に問いかけ、ともに反語の「やは」を用いて、前歌の「涙」を本歌は「濡るる袖」で受けている。

 初句「久方の」は「月」「天」「光」などにかかる枕詞で、ここでは二句の「月」にかかる。
 二句「月ゆゑにやは」の「ゆゑ」は原因、理由の意で、月のせいで、の意である。「やは」は反語の係助詞で、三句の「し」と連体形で結ぶ。前歌の第九百二十九首の二句「月やは物を」と反語の形を共有する。
 三句「恋ひ初めし」の「初め」は「初む」の連用形で、し始める意、「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、恋し始めたのだろうか、いやそうではない、の意である。ここで句切れとなる。
 四句「眺むればまづ」の「眺む」は物思いにふけって見やる意で、已然形に「ば」が付いて、眺めるといつも、の意となる。「まづ」は真っ先に、の意である。
 結句「濡るる袖かな」は、涙に濡れる袖であることよ、の意で、「かな」は詠嘆の終助詞である。前歌の結句「我が涙かな」と応じる。

こひそむ:恋し始める
ながむ:物思いにふけってぼんやりと見やる
作者
寂超
出典
千載和歌集
前の歌
嘆けとて月やは物を思はする かこち顔なる我が涙かな
次の歌
つらしとも恨むる方ぞなかりける 憂きを厭ふは君ひとりかは