昔見し松の梢はそれながら
むぐらの門をさしてけるかな
- 歌の意味
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昔見た松の梢はそのまま変わらずにあるけれども、今は葎の生い茂る門を閉ざしてしまっていることだ。
- 鑑賞
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巻第十七 雑歌中 1102
詞書「三条院隠れさせ給ひて後、かの院の前を過ぎけるに、松の梢は同じさまにて、築垣所々崩れたるに、葎の茂りたるを見て、その内に江侍従が侍りけるに遣はしける」
三条院が亡くなられた後、その院の御所の前を通り過ぎた時、松の梢は昔と同じありさまであるのに、築地があちこち崩れて葎が茂っているのを見て、その中に住んでいた江侍従に贈った歌である。昔見た松の梢はそのままなのに、葎の門を閉ざしてしまったことだ、と詠む。主を失った御所の荒廃を、変わらない松と生い茂る葎との対比によって描き、そこに仕え続ける江侍従の寂しい暮らしを思いやっている。
作者の「弁乳母」は藤原順時の娘である。三条天皇の皇女禎子内親王の乳母をつとめた。江侍従は大江匡衡と赤染衛門の娘である。
本巻の第千五十四首が、主を失った宿に昔のままに咲く花を詠むのと、主の亡き後も変わらない景物を詠む点で通う。
初句「昔見し」は、昔見た、の意で、三条院の在世のころを指す。
二句「松の梢は」は、常に緑で変わらない松の梢は、の意である。
三句「それながら」は、昔のままで、の意で、逆接で下の句へ続く。
四句「むぐらの門を」は、葎の生い茂る門を、の意で、御所の荒廃を言う。
結句「さしてけるかな」の「さす」は門を閉ざす意で、「ける」は詠嘆の助動詞「けり」の連体形、「かな」は詠嘆の終助詞である。閉ざしてしまったことだ、の意となる。
むぐら:荒れ地に生い茂るつる草の総称
ついがき:土で築いた塀、築地
さす:戸や門を閉ざす
かくる:貴人が亡くなる
- 作者
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弁乳母
- 出典
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千載和歌集
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同じ年契りしあれば君が着る 法の衣をたちおくれめや
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山里のかけひの水の凍れるは 音聞くよりも寂しかりけり