かくばかり憂き世の中を忍びても
待つべきことの末にあるかは
- 歌の意味
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これほどつらい世の中を耐え忍んだとしても、この先に待つべき良いことがあるだろうか、いや、ありはしない。
- 鑑賞
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巻第十七 雑歌中 1121
詞書「述懐歌詠み侍りける」
述懐の歌として詠んだ歌である。これほど憂き世の中を忍んでも、待つべきことが行く末にあるだろうか、と詠む。つらい世をじっと耐えて生きていけば、いつかはよいこともあるだろうと人は思う。しかし、この先に待つに値することなどありはしないと、望みを持てない身の嘆きを反語によって強く言い切っている。
作者の「登蓮法師」は平安時代後期の僧である。俊恵の歌林苑に集った歌人の一人で、和歌に熱心であったことが逸話として伝えられる。
本巻の第千七十首、第千百十九首と初句「かくばかり」を共有し、特に第千七十首とは「かくばかり憂き世の」と言い出しが通う。第千七十首が憂き世の末にもなお匂う桜を詠むのに対し、本歌は憂き世の末に待つべきこともないと詠み、「末」をめぐって対照をなしている。
初句「かくばかり」は、これほどまでに、の意である。本巻の第千七十首、第千百十九首と同じ初句である。
二句「憂き世の中を」は、つらい世の中を、の意である。本巻の第千七十首の二句「憂き世の末に」と言い出しが通う。
三句「忍びても」は、じっと耐えても、の意である。
四句「待つべきことの」は、待つに値するよいことが、の意である。
結句「末にあるかは」の「末」は将来、行く末の意で、「かは」は反語の係助詞である。行く末にあるだろうか、いやない、の意となる。本巻の第千七十首の二句「憂き世の末に」と「末」を共有する。
しのぶ:じっと耐える
すゑ:将来、行く末
- 作者
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登蓮
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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思ひきや志賀の浦波立ち返り またあふみともならむものとは
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思ひかねあくがれ出でてゆく道は あゆく草葉に露ぞこぼるる