数ふれば八年経にけりあはれわが
沈みしことは昨日と思ふに
- 歌の意味
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数えてみると、八年が過ぎてしまったことだ。ああ、わたしが官途に沈んだのは、昨日のことのように思われるのに。
- 鑑賞
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巻第二十 神祇歌 1262
詞書「大納言辞し申して出で仕へず侍りける時、住吉の社の歌合とて人々詠み侍りけるに、述懐の歌とて詠み侍りける。その後神恵あるやうに夢想ありて、大納言にも還任し侍りけるとなん」
権大納言の職を辞して出仕しなかった時期に、住吉社の歌合で述懐の歌として詠んだ歌である。数えてみると八年が経った、ああ、わが身が沈んだことは昨日のことと思うのに、と詠む。官を退いて不遇に沈んでからの歳月の早さを嘆き、その思いを住吉の神に訴えている。詞書によれば、その後神の恵みがあったかのような夢のお告げがあり、大納言に還任したという。作者は永万元年(1165)に権大納言を辞し、安元三年(1177)に大納言として復帰した。
作者の「右おほいまうちきみ」は藤原実定である。「右おほいまうちきみ」は右大臣を和語で言ったもので、本集の成立当時、実定は右大臣であった。右大臣藤原公能の子で、のちに左大臣に至り、後徳大寺左大臣と呼ばれた。藤原俊成の甥にあたる。
住吉社の歌合の歌が続き、次歌の第千二百六十三首は同じ歌合の述懐の歌、第千二百六十四首と第千二百六十五首は同じ歌合の社頭月の歌である。
初句「数ふれば」は、数えてみると、の意である。
二句「八年経にけり」の「に」は完了、「けり」は詠嘆の助動詞で、八年が経ってしまったことだ、の意である。ここで句切れとなる。
三句「あはれわが」の「あはれ」は感動詞で、嘆きの声を表している。
四句「沈みしことは」の「沈む」は不遇に沈む、官途が滞る意で、「し」は過去の助動詞「き」の連体形である。
結句「昨日と思ふに」の「に」は逆接の接続助詞で、昨日のことと思うのに、の意である。二句の「八年」と対比され、歳月の早さを際立たせている。
しづむ:不遇の境遇に落ちる、官位が進まない
げんにん:一度辞めた官職に再び任じられること
むさう:夢の中で神仏のお告げを受けること
じゆつくわい:心中の思い、とくに不遇を嘆く思いを述べること
- 作者
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藤原実定
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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神代よりつもりの浦に宮居して 経ぬらん年の限り知らずも
- 次の歌
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いたづらに古りぬる身をも住吉の 松はさりともあはれ知るらん