皇をやほよろづよの神もみな
常磐に守る山の名ぞこれ
- 歌の意味
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天皇を、八百万の神々もみな、万代までも常に変わらずお守りする、その名を負った神山という山の名こそ、これである。
- 鑑賞
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巻第二十 神祇歌 1285
詞書「嘉応元年高倉院の御時、大嘗会悠紀方神遊びの歌、近江国神山を詠める」
嘉応元年、高倉天皇の大嘗会で、悠紀方の神遊びの歌として近江国の神山を詠んだ歌である。天皇を八百万の神もみな万代まで常磐に守る山の名がこれである、と詠む。悠紀方の地名である神山の名を、神々が天皇を守る山の意に取りなし、御代が永久に守られることを言祝いでいる。
作者の「宮内卿永範」は藤原永範である。藤原南家の儒者で、文章博士を経て宮内卿に至った。
前歌の第千二百八十四首と同じ作者による悠紀方の近江国の歌である。地名に寄せて神々の守護を詠む点で、本巻の第千二百八十三首と第千二百八十七首の「諸神」と通い合う。
初句「皇を」は、天皇を、の意である。
二句「やほよろづよの」は、八百万の神の「八百万」と、万代の「万代」とを重ねた表現で、数多くの神々が万代までも、の意を込めている。
三句「神もみな」は、神々もすべて、の意である。
四句「常磐に守る」の「常磐」は永久に変わらないことで、天皇を守り続けることを言う。
結句「山の名ぞこれ」の「山の名」は神山という地名を指し、「ぞ」は強意の係助詞である。神が守る山であるから神山と名づけられたのだと、地名に寄せて結んでいる。
すべらぎ:天皇
やほよろづよ:八百万の神の「八百万」と、万代の「万代」とを重ねる
ときは:永久に変わらないこと
- 作者
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藤原永範
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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神うくる豊の明かりに木綿園の 日蔭かづらぞ映えまさりける
- 次の歌
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みしめゆふ肩にとりかけ神南備の 山の榊をかざしにぞする