古今和歌集 - 紀利貞
素晴らしいという賞賛の言葉を他の多くの桜にやるまいとしてか、春がすぎてしまった後に、ただひとり咲いているようだ。
詳細を見る
古今和歌集 - よみ人しらず
五月になるのを山で待つほととぎすよ。羽をうち振って今も去年のあの鳴き声で鳴いて欲しいものだ。
古今和歌集 - 伊勢
五月が来れば鳴く事も珍しくなくなるであろう、ほととぎすよ。まだその時季にもならないころの初々しい鳴き声が聞きたいものだ。
五月をまって咲いた橘の花の香りをかぐと、昔のあの人の袖の香りがする。
いつのまに五月が来たのであろうか。山にいたほととぎすが今は、あのように鳴いている。
今朝になって鳴いたばかりで、まだ旅の途中のほととぎすよ、わたしの家の花橘に宿をかりてほしいものだ。
古今和歌集 - 紀とものり
音羽山を今朝、越えて来るとほととぎすが今、梢のはるか彼方で鳴いていることよ。
ほととぎすの初声を聞くと、どうにもならないと思いながら相手が決まらず人恋しくなる。
古今和歌集 - 素性法師
昔の都である石上(いそのかみ)で鳴くほととぎすの声だけが昔のままだ。
夏山で鳴くほととぎすよ。思いやる心があるなら物思いに沈む私に、そんな悲しい声を聞かせてくれるな
ほととぎすの鳴く声を聞くと別れさってしまた故郷さえも恋しく思われる。
ほととぎすよ、お前が鳴く里が多くあるので心惹かれるが、疎ましく思える。
昔のことを思い出すときに、常盤山のほととぎすは声をふりしぼって鳴くことだ。
鳴く声だけは聞こえるが涙は見えないほととぎすよ、私の着物の袖が涙で濡れているので借りてほしいものだ。
山から出てきたほととぎすが長く鳴きつづけ、誰が勝っているかと声あげて鳴いていることだ。
いったん出てきたのに、今さら山へ帰るな、ほととぎすよ。声のつづく限り私の家で鳴いてくれよ。