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春の野に心をだにもやらぬ身は
若菜は摘まで年をこそつめ

歌の意味
春の野に心を向けることさえできない我が身は、若菜は摘まずに、ただ年を積み重ねるばかりだ。
鑑賞
巻第一 春歌上 9

詞書「子日しに罷りける人におくれてつかはしける」
 子の日の遊びに出かけた人に取り残され、その人に贈った歌である。野に出て若菜を摘む人々をよそに、自分は年ばかり重ねていると、わが身の境遇を嘆いている。若菜を「摘む」と年を「積む」を響かせた機知の歌である。
 詞書によれば、子の日の遊びに出かけた人に置いていかれて贈ったものである。同行できなかった寂しさに、不遇の嘆きを重ねていると読める。
 作者の「みつね」は凡河内躬恒である。古今和歌集の撰者の一人で、甲斐少目や和泉大掾などを歴任した。三十六歌仙の一人である。

 初句「春の野に」は、子の日の遊びの場である春の野を示す。前歌までの若菜摘みの歌々を受けている。
 二句「心をだにも」の「だに」は、せめて〜だけでもの意で、身はもちろん心さえも野に向けられないことを表す。
 三句「やらぬ身は」は、心を遠くへ送ることもできない我が身をいう。
 四句「若菜は摘まで」は、人々が若菜を摘むのに対し、自分は摘まずにいることを表す。
 結句「年をこそつめ」の「つめ」は、若菜を「摘む」と年を「積む」を掛けた掛詞である。係助詞「こそ」を受けて已然形「つめ」で結び、年ばかり重ねる嘆きを強めている。

つむ:若菜を摘む意と、年を積む意を掛ける
やる:心を遠くへ向ける、送る
作者
凡河内躬恒
出典
後撰和歌集
前の歌
霞立つ春日の野辺の若菜にも なり見てしかな人も摘むやと
次の歌
ふるさとの野辺見にゆくといふめるを いざもろともに若菜摘みてん