かざせども老いも隠れぬこの春ぞ
花の面は伏せつべらなる
- 歌の意味
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花を髪に挿しても老いは隠れないこの春こそは、花のほうが面目を失って顔を伏せてしまいそうだ。
- 鑑賞
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巻第三 春歌下 96
詞書「延喜御時、殿上の男どもの中に召し上げられて、おのおのかざし挿し侍りけるついでに」
花を髪に挿しても老いは隠れない、この春は花のほうが恥じて顔を伏せてしまいそうだと詠んだ歌である。晴れがましい場で老いた自分を戯れに卑下しつつ、花の美しさを引き立てている。
詞書によれば、醍醐天皇の延喜年間、作者が殿上の人々の中に召し上げられ、それぞれ花をかざしとして挿した折に詠んだものである。官位の低い躬恒にとって、殿上に召されたことは晴れがましい出来事であった。
作者の凡河内躬恒は、古今和歌集の撰者の一人で、甲斐少目や和泉大掾などを歴任した。三十六歌仙の一人である。
初句「かざせども」の「かざす」は花や枝を髪や冠に挿す意で、「ども」は逆接である。巻第二の第五十首の「折りてかざさむ」と同じく、宴の場で花をかざす趣向である。
二句「老いも隠れぬ」は、花で飾っても老いは隠せない、の意である。
三句「この春ぞ」の「ぞ」は係助詞で、結句の連体形「なる」と係り結びをなす。
四句「花の面は」の「面」は顔、また面目の意で、花を人のように見立てている。本巻の第百二十八首にも「花の顔」の語がある。
結句「伏せつべらなる」の「伏す」は顔を伏せる意で、「つ」は強意、「べらなり」は推量を表す。老人に挿されて花のほうが恥じ入ってしまいそうだと戯れている。
かざす:花や枝を髪や冠に挿す
おもて:顔、また面目
ふす:顔を伏せる、うつむく
- 作者
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凡河内躬恒
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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かくながら散らで世をやは尽くしてぬ 花のときはもありと見るべく
- 次の歌
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一年に重なる春のあらばこそ 二度花を見むと頼まめ