- 歌の意味
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吉野の山の桜の花は、ただ白雲とばかり見分けがつかないほどに咲いていることだ。
- 鑑賞
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巻第三 春歌下 117
詞書「法師にならむの心ありける人、大和にまかりて程久しく侍りてのち、あひ知りて侍りける人のもとより、月ごろはいかにぞ花は咲きにたりやと言ひて侍りければ」
吉野の山の桜は、ただ白雲とばかり見間違えるほどに咲いていると答えた歌である。花は咲いたかという問いに、白雲と見紛うほどの盛りを伝えている。
詞書によれば、出家しようという心のあった人が大和に下って久しくなったのち、知り合いのもとから、この頃はどうしているか、花は咲いたかと言ってきたので、答えたものである。吉野は世を逃れる人の住む地とされ、花を白雲とばかり見るという言い方に、俗世の花見から離れた心境もうかがえる。
作者は「よみ人しらず」で、詠み手の名は伝わらない。
初句「み吉野の」の「み」は美称で、大和国の吉野を示す。
二句「吉野の山の」は、初句と同じ地名を重ねて、調べを整えている。
三句「桜花」は、吉野の山に咲く桜を示し、詞書の「花は咲きにたりや」という問いに答えている。
四句「白雲とのみ」は、桜を白雲に見立てたものである。次歌の第百十八首、第百十九首にも山桜と白雲が取り合わされ、三首が一連をなしている。
結句「見えまがひつつ」の「まがふ」は入り混じって見分けがつかない意で、「つつ」は継続を表す。言いさしの形で余韻を残している。
まがふ:入り混じって見分けがつかない
- 作者
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よみ人しらず
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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神さびてふりにし里に住む人は 都ににほふ花をだに見ず
- 次の歌
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山桜咲きぬる時は常よりも 峰の白雲立ちまさりけり