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余りさへありて行くべき年だにも
春に必ず逢ふよしもがな

歌の意味
閏月という余りまであって過ぎていくはずの年でさえも、この春には、必ずよい時に巡り逢う手立てがあってほしいものだ。
鑑賞
巻第三 春歌下 135

詞書「弥生に閏月ある年、司召しのころ、申文に添へて左大臣の家につかはしける」
 閏月という余りまである長い年でさえ、春には必ず巡り逢うすべがあってほしいと詠み、任官の望みを託した歌である。春に逢うことに、除目で恩恵にあずかる意を重ねている。
 詞書によれば、三月に閏月のある年、官職の任命が行われる司召しのころ、任官を願う申文に添えて、左大臣の家に贈ったものである。左大臣は、貫之の庇護者であった藤原忠平と考えられる。次歌は左大臣の返歌で、二首は贈答をなしている。
 作者の紀貫之は紀望行の子で、古今和歌集の撰者の中心となり、仮名序を書いた。土佐守などを務め、土佐日記の作者としても知られる。三十六歌仙の一人である。

 初句「余りさへ」の「余り」は閏月を指し、一年に余分の月まで加わることを示す。
 二句「ありて行くべき」は、余りまであって過ぎていくはずの、の意である。
 三句「年だにも」の「だに」は、〜でさえ、の意である。本巻の第九十七首が一年に春が重なることを仮定したのに対し、本歌は閏三月によって春の長い年を詠んでいる。
 四句「春に必ず」の「春」は季節の春であるとともに、除目による恩恵の時を表している。
 結句「逢ふよしもがな」の「よし」は手立て、「もがな」は願望を表す。次歌の第百三十六首は「逢はざらめやは」と、「逢ふ」の語を受けて応じている。

うるふづき:暦を調整するために加える月
つかさめし:官職を任命する儀式、除目
まうしぶみ:官位などを願い出る文書
作者
紀貫之
出典
後撰和歌集
前の歌
桜色に着たる衣の深ければ 過ぐる春日も惜しけくもなし
次の歌
常よりものどけかるべき春なれば 光に人の逢はざらめやは