惜しめども春の限りの今日の又
夕暮れにさへなりにけるかな
- 歌の意味
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どれほど惜しんでも、春の最後の日である今日が、そのうえ夕暮れにまでなってしまったことだ。
- 鑑賞
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巻第三 春歌下 141
詞書「題しらず」
どれほど惜しんでも、春の最後の日である今日が、さらに夕暮れにまでなってしまったと嘆いた歌である。春の終わりと一日の終わりとを重ね、去りゆく春を惜しむ思いを深めている。
本歌から巻末の第百四十六首までは、春の終わりの日を惜しむ歌が続く一連である。
作者は「よみ人しらず」で、詠み手の名は伝わらない。原文の作者表記は「よみ人も」とあるが、ここでは「よみ人しらず」として扱う。
初句「惜しめども」の「ども」は逆接で、どれほど惜しんでも、の意である。
二句「春の限りの」の「限り」は最後、終わりの意で、春の最後の日を示す。本巻の第百四十三首も「春の限りは」と同じ語を用いている。
三句「今日の又」は、春の最後の日である今日が、そのうえ、の意である。本巻の第百三十七首の「春さへ今日に」とも響き合っている。
四句「夕暮れにさへ」の「さへ」は添加で、一日の終わりである夕暮れにまで、の意である。春の終わりという季節の尺度と、夕暮れという一日の尺度とを重ねている。
結句「なりにけるかな」の「かな」は詠嘆である。本巻の第百三十七首と同じ結句である。
かぎり:最後、終わり
- 作者
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よみ人しらず
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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八重むぐら心の内に深ければ 花見に行かむ出で立ちもせず
- 次の歌
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行く先を惜しみし春の明日よりは 来にし方にもなりぬべきかな