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葦引の山下水は行き通ひ
琴の音にさへ流るべらなり

歌の意味
山の木の下を流れる水は行き通って、琴の音にまでも流れているようだ。
鑑賞
巻第四 夏歌 168

詞書「同じ心を」
 山の木陰を流れる水が行き通って、琴の音にまで流れ込んでいるようだと詠んだ歌である。前歌が琴の音を松風にたとえたのに対し、本歌は琴の音を流れる水にたとえ、その清らかな響きをたたえている。
 詞書によれば、前歌と同じ趣、すなわち夏の夜に深養父の琴を聞く心を詠んだものである。
 作者の「つらゆき」は紀貫之である。紀望行の子で、古今和歌集の撰者の中心となり、仮名序を書いた。土佐守などを務め、土佐日記の作者としても知られる。三十六歌仙の一人である。

 初句「葦引の」は、「山」にかかる枕詞である。
 二句「山下水は」は、山の木の下を流れる水は、の意で、前歌の「峰の松風」の高みに対し、山の下を流れる水を置いている。
 三句「行き通ひ」は、行き通って、の意で、水が琴の音へ通い流れるさまを表している。
 四句「琴の音にさへ」の「さへ」は添加の副助詞で、琴の音にまでも、の意である。前歌の第百六十七首が詞書で示した琴を、ここで歌の中に詠み込んでいる。
 結句「流るべらなり」の「べらなり」は推量の助動詞で、流れているようだ、の意である。平安時代初期に貫之らが好んで用いた語である。

やましたみづ:山の木陰を流れる水
作者
紀貫之
出典
後撰和歌集
前の歌
短夜の更けゆくままに白妙の 峰の松風吹くかとぞ聞く
次の歌
夏の夜は逢ふ名のみして敷妙の 塵払ふ間に明けぞしにける