人知れずわがしめし野の常夏は
花咲きぬべき時ぞ来にける
- 歌の意味
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人知れず私が標をして自分のものとしておいた野の常夏は、もう花が咲くにちがいない時がやって来たことだ。
- 鑑賞
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巻第四 夏歌 198
詞書「題しらず」
人知れず自分のものと標をしておいた野の常夏に、花の咲くべき時が来たと詠んだ歌である。常夏すなわち撫子に、ひそかに思いを寄せてきた娘をなぞらえ、その娘が年頃になったことを喜んでいる。
作者は「よみ人しらず」で、詠み手の名は伝わらない。原文の作者表記は「よみ人も」とあるが、ここでは「よみ人しらず」として扱う。
初句「人知れず」は、人に知られずに、の意で、ひそかな思いであることを示している。
二句「わがしめし野の」は、私が標をして自分のものとした野の、の意で、本巻の第百八十三首の「わがしめ結ひし」と同じ趣向である。
三句「常夏は」は、撫子の異名である常夏を示し、思いを寄せる娘をなぞらえている。本巻の第二百首、第二百一首も「常夏」を詠み、撫子の歌が続いている。
四句「花咲きぬべき」は、花がきっと咲くにちがいない、の意で、「ぬ」は強意、「べき」は推量の助動詞「べし」の連体形である。
結句「時ぞ来にける」は、時がやって来たことだ、の意で、「ぞ」は係助詞、連体形「ける」と係り結びをなす。第百八十三首が花の盛りを人に折らせるなと願ったのに対し、本歌は花の咲く時を待ち得た喜びを詠んでいる。
とこなつ:撫子の異名
しめす:標を張って自分の領分とする
- 作者
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よみ人しらず
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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郭公暁がたの一声は 憂き世の中を過ぐすなりけり
- 次の歌
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我が宿の垣根に植ゑし撫子は 花に咲かなむよそへつつ見む