秋霧の立ちぬる時はくらぶ山
おぼつかなくぞ見えわたりける
- 歌の意味
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秋霧が立ちこめた時には、くらぶ山は、ぼんやりとかすんで一面に見えることだ。
- 鑑賞
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巻第六 秋歌中 271
詞書「延喜御時に、秋歌召しければ奉りける」
秋霧が立ちこめた時には、暗いという名をもつくらぶ山が、いっそうぼんやりとかすんで見えると詠んだ歌である。山の名の「暗」に、霧に包まれて見通せないおぼつかなさを重ねている。
詞書によれば、醍醐天皇の延喜の時代に、帝が秋の歌を求めたので献上したものである。本巻は秋霧の歌で始まり、次歌も同じ詞書のもとで秋の野の霧を詠んでいる。
作者の紀貫之は紀望行の子で、古今和歌集の撰者の中心となり、仮名序を書いた。土佐守などを務め、土佐日記の作者としても知られる。三十六歌仙の一人である。
初句「秋霧の」は、秋に立つ霧が、の意である。本巻の第三百三十八首も初句に「秋霧の」を置き、こちらは霧の晴れることを詠んでいる。
二句「立ちぬる時は」の「ぬる」は完了の助動詞「ぬ」の連体形で、立ちこめた時には、の意である。
三句「くらぶ山」は、京の北にある山で、鞍馬山の古名ともいわれる。その名に「暗し」の意を響かせ、霧にかすむ山の暗さを示している。
四句「おぼつかなくぞ」は、ぼんやりとしてはっきりしない、の意で、「ぞ」は係助詞である。
結句「見えわたりける」は、一面に見えることだ、の意で、四句の「ぞ」と連体形「ける」が係り結びをなす。本巻の第二百七十三首も同じ結句「見えわたりける」で、秋霧の景を結んでいる。
くらぶやま:京の北にある山、鞍馬山の古名ともいわれ、名に「暗し」の意を響かせる
みえわたる:一面に見える、見渡す限りそう見える
- 作者
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紀貫之
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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草の糸に貫く白玉と見えつるは 秋の結べる露にぞありける
- 次の歌
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花見にと出でにしものを秋の野の 霧に迷ひて今日は暮らしつ