さを鹿の立ちならす小野の秋萩に
置ける白露我も消ぬべし
- 歌の意味
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牡鹿が来て踏みならす小野の秋萩に置いた白露のように、私もはかなく消えてしまいそうだ。
- 鑑賞
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巻第六 秋歌中 306
詞書「延喜御時、歌召しければ」
牡鹿が来て踏みならす小野の秋萩に置いた白露のように、自分もはかなく消えてしまいそうだと詠んだ歌である。萩に置く露のはかなさにわが身を重ね、消え入りそうな思いを表している。
詞書によれば、醍醐天皇の延喜の時代に、帝が歌を求めた折に詠んだものである。本巻の第三百六首から第三百九首までは、詞書「延喜御時、歌召しければ」のもとに白露の歌が四首並んでいる。
作者の「つらゆき」は紀貫之である。紀望行の子で、古今和歌集の撰者の中心となり、仮名序を書いた。土佐守などを務め、土佐日記の作者としても知られる。三十六歌仙の一人である。
初句「さを鹿の」の「さ」は接頭語で、牡鹿の、の意である。
二句「立ちならす小野の」は、踏みならす小野の、の意で、字余りである。本巻の第二百九十八首の「鹿立ちならす野辺の秋萩」と同じ景を詠んでいる。
三句「秋萩に」は、秋萩に、の意である。
四句「置ける白露」の「る」は存続の助動詞「り」の連体形で、置いている白露、の意である。初句から四句までが、消えるものとしての露を示している。
結句「我も消ぬべし」の「べし」は推量の助動詞で、私も消えてしまいそうだ、の意である。
さをしか:牡鹿、「さ」は接頭語
をの:野、「を」は接頭語
けぬ:消えてしまう
- 作者
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紀貫之
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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わが宿の尾花が上の白露を 消たずて玉に貫くものにもが
- 次の歌
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秋の野の草は糸とも見えなくに 置く白露を玉と貫くらん