玉かづら葛城山の紅葉葉は
面影にのみ見えわたるかな
- 歌の意味
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葛城山の紅葉は、面影としてばかり、いつまでも目に浮かび続けることだ。
- 鑑賞
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巻第七 秋歌下 391
詞書「題しらず」
葛城山の紅葉は、実際に見ることはかなわず、面影としてばかりいつまでも目に浮かび続けると詠んだ歌である。遠く離れた名所の紅葉を思い描き、見に行けないもどかしさを表している。
前の歌までが目の前や遠景の紅葉を詠んだのに対し、本歌は心の中に浮かぶ紅葉を詠んでいる。
作者の「つらゆき」は紀貫之である。紀望行の子で、古今和歌集の撰者の中心となり、仮名序を書いた。土佐守などを務め、土佐日記の作者としても知られる。三十六歌仙の一人である。
初句「玉かづら」は、つる草の美称で、「かづら」の音から「葛城」にかかる枕詞である。
二句「葛城山の」は、大和と河内の境にある葛城山の、の意である。
三句「紅葉葉は」は、紅葉した木の葉は、の意である。
四句「面影にのみ」は、面影としてばかり、の意で、実際には見ることができないことを示している。
結句「見えわたるかな」の「見えわたる」は、ずっと見え続ける意で、「かな」は詠嘆の終助詞である。
たまかづら:つる草の美称、「かづら」の音から「葛城」などにかかる枕詞
おもかげ:心に思い浮かべる姿
みえわたる:ずっと見え続ける
- 作者
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紀貫之
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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あだなりと我は見なくに紅葉葉を 色の変はれる秋しなければ
- 次の歌
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秋霧の立ちし隠せば紅葉葉は おぼつかなくて散りぬべらなり