菊の上に置きゐるべくもあらなくに
千歳の身をも露になすかな
- 歌の意味
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菊の上にとどまっていられるはずもないのに、千年の命をもつという鶴の身までも、はかない露にしてしまうことだ。
- 鑑賞
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巻第七 秋歌下 396
詞書「九月九日、鶴の亡くなりにければ」
菊の上にとどまっていられるはずもない露なのに、千年の命をもつという鶴の身までも露にしてしまったと詠んだ歌である。長寿を祝う重陽の節句の日に、長寿の象徴である鶴が死んだことを、はかない露に寄せて嘆いている。
詞書によれば、九月九日の重陽の節句に、飼っていた鶴が死んでしまったので詠んだものである。前の二首が菊の露に長寿を願ったのに対し、本歌は同じ菊の露の縁で、長寿のはずの鶴の死を嘆いている。
作者の伊勢は伊勢守藤原継蔭の娘で、宇多天皇の女御藤原温子に仕えた。宇多天皇の寵愛を受けて皇子を産み、のちに敦慶親王との間に中務をもうけた。三十六歌仙の一人で、小倉百人一首には「難波潟短き葦のふしの間も」の歌が採られている。
初句「菊の上に」は、菊の花の上に、の意である。
二句「置きゐるべくも」は、置いたままでいられるはずも、の意で、露がすぐに消えることを示している。
三句「あらなくに」は、ないのに、の意である。
四句「千歳の身をも」は、千年の命をもつという鶴の身までも、の意である。
結句「露になすかな」は、露にしてしまうことだ、の意で、「かな」は詠嘆の終助詞である。鶴の死を露のはかなさにたとえている。
ちとせ:千年、鶴は千年生きるとされた
ちようやう:九月九日の節句、菊の節句ともいい、長寿を願う
- 作者
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伊勢
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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露だにも名立たる宿の菊ならば 花の主やいく世なるらん
- 次の歌
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菊の花長月ごとに咲き来れば 久しき心秋や知るらむ