ほかの瀬は深くなるらしあすか川
昨日の淵ぞ我が身なりける
- 歌の意味
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ほかの浅瀬は深くなるらしい。昨日は淵だったのに今日は瀬になるという飛鳥川の、その昨日の淵こそが私の身であったのだ。
- 鑑賞
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巻第九 恋歌一 525
詞書「女の、人のもとにつかはしける」
ほかの浅瀬は深くなっていくらしい、移ろいやすい飛鳥川の昨日の淵こそが私の身だった、と詠んだ歌である。男の思いがほかの女へと深まり、かつて深く愛された自分は浅くなってしまったことを嘆いている。
詞書によれば、女が男のもとへ送った歌である。古今和歌集の「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」を踏まえ、淵と瀬が入れ替わる飛鳥川に、男の心変わりを重ねている。次歌は男の返歌で、二首は贈答の一組となっている。
作者は「よみ人しらず」で、詠み手の名は伝わらない。
初句「ほかの瀬は」は、ほかの浅瀬は、の意で、ほかの女をたとえている。
二句「深くなるらし」の「らし」は根拠のある推定を表す助動詞で、深くなるらしい、の意である。ここで句切れとなる。
三句「あすか川」の「あすか」は、大和の「飛鳥」川と、「明日」を掛けた掛詞で、四句の「昨日」と対をなしている。
四句「昨日の淵ぞ」は、昨日は深い淵であったものこそ、の意で、古今和歌集の歌の四句をそのまま用いている。「ぞ」は強めの係助詞である。
結句「我が身なりける」は、私の身であったのだ、の意で、四句の「ぞ」を受けて連体形「ける」で結ぶ係り結びとなっている。次歌の四句「我が身ひとつは」がこれを受けている。
あすかがは:大和の「飛鳥川」と「明日」を掛ける、淵と瀬が移り変わる川として詠まれる歌枕
ふち:川の水が深くよどんだところ
- 作者
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よみ人しらず
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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結びおきしわが下紐の今までに 解けぬは人の恋ひぬなりけり
- 次の歌
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淵瀬ともいさやしら浪立ち騒ぐ 我が身ひとつは寄る方もなし