恋をのみ常にするがの山なれば
ふじのねにのみ泣かぬ日はなし
- 歌の意味
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恋ばかりをいつもする駿河の山なので、富士の嶺ではないが、声をあげて泣かない日はない。
- 鑑賞
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巻第九 恋歌一 565
詞書「題しらず」
恋ばかりをいつもしている駿河の山のような身なので、富士の嶺ではないが、声をあげて泣かない日はない、と詠んだ歌である。駿河と富士という地名に、恋をすることと声をあげて泣くことを掛けて、絶え間ない恋の苦しみを表している。
本巻の第五百十六首や第五百二十首と同じく、地名に恋の思いを掛ける趣向である。
作者は「よみ人しらず」で、詠み手の名は伝わらない。原文の作者表記は「よみ人も」とあるが、ここでは「よみ人しらず」として扱う。
初句「恋をのみ」は、恋ばかりを、の意である。
二句「常にするがの」の「するが」は、恋を「する」と、国名の「駿河」を掛けた掛詞である。
三句「山なれば」は、山なので、の意で、駿河の山から四句の富士を導いている。
四句「ふじのねにのみ」の「ね」は、富士の「嶺」と、泣く声の「音」を掛けた掛詞である。
結句「泣かぬ日はなし」は、泣かない日はない、の意である。
するが:恋を「する」意と、国名の「駿河」を掛ける
ね:富士の「嶺」の意と、泣く声の「音」を掛ける
- 作者
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よみ人しらず
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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世の中に忍ぶる恋のわびしきは 逢ひてののちの逢はぬなりけり
- 次の歌
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君によりわが身ぞつらき玉垂れの みずは恋しと思はましやは