淵は瀬になりかはるてふ飛鳥川
渡り見てこそ知るべかりけれ
- 歌の意味
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淵が瀬に変わるという飛鳥川も、実際に渡ってみてこそ、その深さが分かるはずのものだ。
- 鑑賞
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巻第十一 恋歌三 750
詞書「女に心ざしあるよしを言ひつかはしたりければ、世の中の人の心定めなければ頼みがたきよしを言ひて侍りければ」
淵が瀬に変わるという飛鳥川も、渡ってみてこそ分かるものだ、と詠んだ歌である。人の心は変わりやすいから頼みにできないと言う女に、私の心も実際に逢ってみてこそ分かると訴えている。
詞書によれば、女に思いを寄せていることを伝えたところ、世の中の人の心は定めないので頼みにしがたいと言ってきたので詠んだ歌である。古今和歌集の「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」の歌を踏まえ、移ろいやすさの象徴である飛鳥川を詠んでいる。本巻ではこの歌から第七百五十二首まで、飛鳥川を詠む歌が続いている。
作者の在原元方は、在原業平の孫で、在原棟梁の子である。古今和歌集の巻頭歌「年の内に春は来にけり」の作者として知られる。
初句「淵は瀬に」は、深い淵が浅い瀬に、の意である。
二句「なりかはるてふ」は、変わるという、の意で、「てふ」は「といふ」がつづまった形である。
三句「飛鳥川」は、大和の国の歌枕で、流れが変わりやすく、世の無常や人の心の移ろいの象徴とされた。次歌の第七百五十一首、第七百五十二首にも飛鳥川が詠まれている。
四句「渡り見てこそ」は、渡ってみてこそ、の意で、「こそ」は強めの係助詞である。
結句「知るべかりけれ」は、分かるはずのものだ、の意で、四句の「こそ」を受けて已然形「けれ」で結ぶ係り結びとなっている。
ふち:川の水が深くよどんでいる所
せ:川の浅い所、流れの速い所
- 作者
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在原元方
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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つらきをも憂きをもよそに見しかども 我が身に近き世にこそありけれ
- 次の歌
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厭はるる身を憂はしみいつしかと あすか川をも頼むべらなり