松山につらきながらも波越さむ
ことはさすがに悲しきものを
- 歌の意味
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末の松山を波が越えるように、あなたが心変わりをすることは、恨めしく思いながらも、やはり悲しいことなのに。
- 鑑賞
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巻第十一 恋歌三 755
詞書「消息つかはしける女の、又異人に文つかはすと聞きて、今は思ひ絶えねと言ひおくりて侍りける返事に」
末の松山を波が越えるように心変わりすることは、恨めしいながらもやはり悲しい、と詠んだ歌である。ほかの男にも手紙を送っている女に、もう思いを断てと言ってきた相手へ、断ちきれない悲しみを述べている。
詞書によれば、手紙を送っていた女が別の男にも手紙を送っていると聞き、もう思い切ってくださいと言ってよこした女の返事に対して詠んだ歌である。古今和歌集の東歌「君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ」を踏まえ、末の松山を波が越えることを心変わりのたとえとしている。本巻の第七百五十九首、第七百六十首、第七百八十三首にも松山を越える波が詠まれている。
作者の「贈太政大臣」は藤原時平である。関白藤原基経の長男で、左大臣にまで昇り、没後に太政大臣を贈られた。菅原道真を大宰府に左遷させたことで知られる。
初句「松山に」は、陸奥の国の歌枕である末の松山に、の意である。
二句「つらきながらも」は、恨めしく思いながらも、の意である。
三句「波越さむ」は、波が越えるだろう、の意で、心変わりをたとえている。本巻の第七百五十九首の三句も「波越さむ」で、同じ句を共有している。
四句「ことはさすがに」は、そのことはやはり、の意である。
結句「悲しきものを」は、悲しいのに、の意で、「ものを」は逆接を含む詠嘆を表す。
すゑのまつやま:陸奥の国の歌枕。波が越えることのないものとされた
- 作者
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藤原時平
- 出典
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後撰和歌集
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あしたづの雲居にかかる心あらば 世を経て沢に住まずぞあらまし
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宵の間にはや慰めよ石上 古りにし床もうち払ふべく