あきとてや今は限りの立ちぬらん
思ひにあへぬものならなくに
- 歌の意味
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秋だからというので、いや私に飽きたからというので、今が最後という霧が立ってしまったのだろうか。私の思いに堪えきれないというわけでもないのに。
- 鑑賞
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巻第十二 恋歌四 824
詞書「秋霧の立ちたるつとめて、いとつらければ、この度ばかりなん言ふべきと言ひたりければ」
秋だから、飽きたからと、今が最後という霧が立ったのだろうか、思いに堪えられないわけでもないのに、と詠んだ歌である。秋霧の立つ朝、これで最後と言われた悲しみを、「秋」と「飽き」を掛けて詠んでいる。
詞書によれば、秋霧が立った翌朝、相手がたいそうつれないので、これが最後と言ってきたときの歌である。
作者の伊勢は、藤原継蔭の娘である。宇多天皇の中宮温子に仕え、宇多天皇の寵を受けた。のちに敦慶親王との間に中務をもうけた。三十六歌仙の一人である。
初句「あきとてや」は、秋だからというので、の意で、「あき」に季節の「秋」と「飽き」を掛けている。「や」は疑問の係助詞である。本巻の第八百四十首の結句「あきの風かな」も同じ掛詞を用いている。
二句「今は限りの」は、今が最後という、の意である。
三句「立ちぬらん」は、立ってしまったのだろうか、の意で、詞書の秋霧が立つ意に、別れの時が来る意を重ねている。初句の「や」を受けて連体形「らん」で結ぶ係り結びとなり、ここで句切れとなる。
四句「思ひにあへぬ」は、思いに堪えきれない、の意である。
結句「ものならなくに」は、ことでもないのに、の意で、「なくに」は打消の詠嘆を表す。
つとめて:翌朝
あき:季節の「秋」と、「飽き」を掛ける
たつ:霧が「立つ」意に、別れの時が来る意を重ねる
あふ:こらえる、堪える
- 作者
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伊勢
- 出典
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後撰和歌集
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音にのみ声を聞くかなあしひきの 山下水にあらぬものから
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見し夢の思ひ出でらるる宵ごとに 言はぬを知るは涙なりけり